当たり前田じゃないクラッカー。
どちらにもいい顔をするというより、どちらにも攻撃をしたいと思うことが多い。どちらも悪いとは限らない。
読書を感じさせる点で、文庫本が後ろポケットから顔を覗かせている光景は文庫本を読んでいる光景に劣っていない。書くことにも同様の光景があるのだろう。
人は環境の中に状況という環境を設けることが出来る。
みんな、仲間以外とは一席スペースが空いていると思っている。だから、窮屈。だから、ぶつかる。
花鳥風月も課長島耕作もえび満月も同じことだ。
傘がないより傘しか選択肢が無いの方が嫌だ。
ゆりかごから高田馬場まで。
入れ物もまたどこかに入っていることで成り立っている。
場所や状況もまた遍在する。
認識した時点で人工。
読むと書くより、読もうすると書こうとするの方が同じ状態。
インタラクティブは予測変換に登場する。ディスクリプティブも登場するべきだ。
次長、記帳。
断絶しながら隣接を相手に強いることが加速している。
行間として認識されていないものを誰が読む。
座らせる為に空けるスペースと、座らせない為に空けるスペースがある。
空気を、ではなく、空気が読む。
文明は未だ全然想像に追い付いていない。あるいは想像出来ていないことが一向に減っていない。
会話によって老化してしまう時間がある。
短文では成り立たない憎悪を抱きしめたい。本物だもの。非みつを
「…好き」もいいけど「…好きにゃ…」と言える時間を。
考えるとは、よそごとから主題を見つけ近付くこと。
どういう人と付き合ってきたかでその人の価値が決まるという考えがある。あらゆる人と付き合うことには触れられていないが、そんなことは不可能だから、互いの人格を増やす必要がある。
言語を生んだかどうかだ。
公害が愛おしい場合がある。
時間がなくて揉めるには、説明し合う時間がないと感じているからということも含まれる。
世界が続くためには、その猫が戦争を好んだり望んだりして嫌われたとしても、誰かがその猫を好きでいる必要がある。
大体の敵は切磋琢磨する相手。
物理的か心理的かを問わず、書きにくい環境や状態が可能とする高精細な記録がある。