2011-01-01から1年間の記事一覧
線も円も、点線の集合体である。
第三者に向いていない笑顔同士は、ぶつかり合う。
体感するサイズに他者が関わっている道具がある。
工場とは工場内でモノを作っているのみにあらず、外にいるヒトをも作っているものだ。これを工場心という。
既出を真似て作られた言葉と既出を知らずに作られた言葉では、綴りが同じ場合にも、与える印象は互いに異なる。
都合のいい話、むしのいい話は、第一話として始まっていても最終回として捉えられやすい。
ねぎの花を知らないというのは見たことがないからだろうが、ねぎを持って歩く人を知らないというのは、失ったということだろう。
部首を誤るのなら、その漢字を知らないほうがまだ良い。
同業や競合もまたコラボ出来るということを忘れがちだ。
先人は谷であり山。上り下りする対象。
制作も製作も、脱着や着脱を繰り返す点では、同じものを生み出す行為。
横断歩道ではなく歩道橋で渡りたい時がある。
エントロピーでまとめるのは、人間以外に任せれば良い。
諦観とは諦めること以外にもう一つ意味がある。定款にはそちらを掲載すべきだ。
滝に打たれるばかりでなく、水を水平に広げよう。
目抜き通りでこそ息抜きと中抜きが出来るよう。
社歌は説法。
感嘆符のせいで冷めていくものがある。
四隅だけが空いた満員電車。四つ葉のクローバー。四季。
人が装着出来る魚眼レンズは、新陳代謝の波に抗う老人を発見する。
認識出来る自分などほんの一部。その認識の継続を向上心と言う。
全ての喜怒哀楽は、悲しみに変わる。
誰かがしたことの知り合いにはなれる。
相似が見つかるように掃除出来ていると良いね。
昔のほうがデジタルだったものがある。それを忘れていくことがデジタルなのか?
現状に留まりたい気持ちが社会にあふれ出すと、他者にとって押し寄せる流れ作業の波と化す。
流れ作業の上に、ながら作業を作らず、ながら作業同士で眺め続けよう。
多彩なメニューに留まらず多彩なメニューブックを。
考えるは思うに置き換えられるが、思うは考えるに置き換えられないことがある。
自立とは自作自演からマッチポンプを切り離すこと。